経済危機のルーツ/野口悠紀雄

1970年代に作られた世界経済の枠組み、それらが今に至るまでどのように変化してきたのか。
そして日本がいかにその変化に取り残されてきたか、という観点から経済史を振り返る本。

各国の経済情勢について持っている漠然としたイメージ(アイルランドは貧乏、金融危機で金融立国を唱えていた国は失脚する 等)をデータに基づいて覆される。
また、経済の基本ルールについても記載が多くされているため、かなり勉強になった。

【目次】
序章 何故歴史を振り返るのか
第1章 現代世界経済の枠組みが1970年代に作られた
第2章 経済思想と経済体制1980年代に大転換した
第3章 ITと金融が1990年代に世界を変えた
第4章 1990年代はアメリカとイギリスの大繁栄時代
第5章 未曾有のバブルとその崩壊:2000年代
終章 日本が停滞を打破するためになすべきこと

【抜粋】
<序章>

  • 歴史的必然には逆らえないとする「歴史主義」と歴史法則は操作可能とする「社会工学主義」

<第1章>

  • 1960年代までは金・ドルの交換が約束されたブレトンウッズ体制で世界経済は運営されていた。ニクソン・ショックによってそれが終わった。
  • 1971年のスミソニアン合意によって、円は1ドル360円から308円となり、変動相場制への過渡期が作られた。その後、1976年に変動相場制へ移行された。
  • 石油ショックによって上昇した原油価格と金の価格上昇幅はほぼ同じ。つまり、石油ショックの本質は産油国が経済をコントロールする、といったことではなくドルの価値が金や原油といった実物財と比較して低下したことにある。通貨の価値が金との関係において、またさまざまな国の通貨間で調整された過程。
  • Jカーブ効果:通貨が減価しても最初の一定期間は輸出量が変わらないため、輸出額が減少し、貿易赤字がかえって拡大する。
  • 60年代アメリカの経済学者はフィリップスカーブを経済政策の基本に据えた。これは、失業とインフレの間には安定したトレードオフの関係があり、経済成長と物価安定の一方を犠牲にすれば一方を必ず達成できるとする考え方。スタグフレーションによって崩壊した。
  • 高度成長の基本は農業経済から工業経済への移行。80年代に日本がイギリスを超える成長を見せたのは後発工業化国であったため。
  • 高度経済成長期に行われた日本の研究のほとんどは、戦直後の日本に関するものであり、80年代の成長を分析するには適さないものだった。
  • 情報技術が発展した時期と社会主義国の崩壊が同時期であったのは偶然ではない。社会主義国では、印刷物ですら統制したが、情報技術の発展による分散型の情報処理は統制の崩壊を意味した。

<第2章>

<第3章>

<第4章>

  • 中国の工業化という大きな経済条件の変化に対してもっとも重要なのは、「中国ができない高度の経済活動」に特化していくこと。
  • イールドカーブとは債券の期間と金利の関係を表したグラフ。05年ころのアメリカのイールドカーブ短期金利の上昇が長期金利に反映されず、フラットになっていた。
  • 世界決済銀行による外貨準備高ランキングは、日本は3位を守っていたが90年代にポンドに抜かれた。GDPでは1.5倍の規模を有する日本の金融活動の弱さを示している。
  • 07年において、イギリスの金融部門はGDPの10%を占めている。法人税収の4分の1は金融部門からのもの。
  • 先進国から先進国への直接投資「21世紀型のグローバリゼーション」の先頭をいったのがイギリス。
  • 国際収支の段階説によれば、日本は「未成熟の債権国」、今後「成熟した債権国」「債権取り崩し国」になる。イギリスはすでにその段階に至っている。
  • アイルランドの教訓はきわめてシンプル。「高校と大学の授業料をゼロにせよ。法人税制を簡素化・透明化し、税率を引き下げよ。外国企業に門戸を開け。経済をオープンにせよ。英語を話せ」

<第5章>

  • アメリカの強さは新しいものを生み出す力。グーグル、IBM、アップル、アマゾンといった先端IT企業が生まれた。


<終章>

  • 日本が停滞を打破するためになすべきことの1つは古いものの生き残りを支援しないこと。第二は、21世紀型のグローバリゼーションを実現すること。(資本、人的資源の両面において海外に開く)第三は、教育(主として専門分野の高等教育)