霞ヶ関維新/新しい霞ヶ関を創る若手の会

霞ヶ関の各省庁で働く若手職員有志により書かれた、「霞ヶ関構造改革」のための本。

<目次>
第1部 日本の現状をどう見るか
第2部 めざすべき国家像と戦略の必要性
第3部 戦略国家の構築に向けて
第4部 霞ヶ関構造改革の先にあるもの


第1部では、主に定量的・定性的の両面から日本の置かれている現状を示している。
衰退期にあり、経済指標・社会指標をとっても、概ね悪化の傾向にあることが客観的に述べれられており、こうした状況を踏まえて、悲観論を超えた議論を行う、として議論の出発点としている。

第2部では、日本のめざすべき国家像として「協創」、「小強国家」、「真豊国家」の3つを掲げている。
「協創」では官民の二元対立を超えた協力構築、「小強国家」では小さい政府、「真豊国家」では多様化するニーズに合わせることができる仕組み作りを提案している。
また、これらを実現するための戦略について、行政府たる霞ヶ関が担うべきであること、さらに戦略の要諦として?長期性・総合性、?明確な優先順位、?実現性の3点を挙げている。
戦略を検討に向けて霞ヶ関が克服すべきものとして、日常業務、法案作成過程、国会答弁作成過程を例にとって業務の説明が示されている。

第3部では、構造改革案として、総合戦略本部の創設、人事制度の刷新、透明化を通じた業務改革が提案されている。そしてこれらを進めるための組織・人事として、構造改革本部や大臣の設置についても示されている。

第4部では、構造改革により実現される価値として、平和、環境、芸術、技術及び人的資源の5分野を挙げている。


書かれている内容が嘘だとも思わないし、悪いとも思わない。しかし、戦略不在の日本に、総合戦略本部@霞ヶ関を打ち立てることで、この閉塞感を打破する、というのは腑に落ちないというか、信用できないというか、実現するのかよくわからない。
もちろん、この本に書かれているように、霞ヶ関の省庁縦割りや縄張り意識といったことが1つ1つ解決されれば今より良くなるだろう。だが、それはもはや構造改革といったレベルを超えているのではないだろうかとも思う。

そもそも戦略は1つだけ国家が決めるものなのだろうか。どこに向かうべきかがある程度見えている状態、何かに向けて追いつき追い越せの状態であれば、そうともいえるだろうが、それが無い今、戦略を決めかねるというのが実状で、それを無視して、優秀な人間と組織で戦略を決められる、ということ自体が誤解なのではなかろうかと思うことがある。

私自身も、ならばどうすべきか、という質問にこたえられるわけではないが、どこに行けばいいかわからないときは、企業や個人の自由に任せ、リスクを分散し、どれかが当たるような状態にするのがいいのではないのだろうか。最盛期を迎える前のイギリスは、株式会社の仕組み等によって、こうしたリスク分散の手法が発展したと聞いたことがある。(対照的に中国では皇帝の定めた方針のみが指針とされていた。)
もちろん、発展は永遠のものではないし、そもそも何を以って「発展」というかということだって、絶対の価値観は無い。しかしながら、国家が発展のなんたるかを定め、その方法を決めるというのは、いささか無理じゃないかと思えるのだ。


こうした日本論を読むたびに海外ではどうなんだろうと疑問に思う。海外では省庁縦割りはないのだろうか、戦略立案組織は独立しているのだろうか。調べてみる価値はありそうだが、サボってしまっている。