なせばなる民営化 JR東日本/松田昌士

国鉄からJRへの民営化において、改革の最前線で検討を行った松田昌士による改革前夜から事後までの回想録。
国鉄民営化という一大事業を成功させるために、「民営化」という一面だけでなく、それに伴う組織、人のあり方までを検討できたからこそその成功があったということがわかる。

かつてはユニバーサルサービスとして提供しなければならなかった鉄道が、民営化されることには様々な反対があっただろうと思うが、
結局のところ民営化によって、債務は返済され、様々な事業で成功を収めることができたのではないだろうか。
ユニバーサルサービスと言えば公的機関でしかできないような印象を受けるが、民間でやるべきこと、公的にやるべきことの区分を事業成果からとらえ直すことの重要性と難しさを再認識した。
大改革の裏にはこうした前線での戦いがあることを忘れないでおきたい。


【目次】
第1章 なぜ国鉄改革が必要だったのか
第2章 国鉄改革前夜の攻防
第3章 国鉄から新生JRに向けて
第4章 民営化後の歩み
第5章 日本の再生に必要な改革とは何か
第6章 鉄道ルネッサンスを目指して

【抜粋】
第1章 なぜ国鉄改革が必要だったのか

  • 公社という経営形態は世界各国で見られる公企業の一形態であるのだが、我が国においては、国営事業を独立採算制のもとで運営させるという形で発足した。
  • 昭和30年代の初めには旅客とほぼ拮抗していた貨物収入が急激に低迷した。その理由はエネルギー革命の進展に伴う石炭産業の没落である。
  • 公社の性質上、予算も運賃も、国会や政府などの規制を受けていて、自主的に決めることはできなかった。投資をしようにも景気を過熱させるという理由で許可が下りず、投資を抑えたい場面で景気対策として投資が求められる。
  • 1964年度の300億円の赤字が、最終的には25兆円にまで拡大した。これは当時のメキシコの対外債務に匹敵する規模である。

第2章 国鉄改革前夜の攻防

  • 分割民営化を進める上で検討すべき課題は以下の5項目だった。
    1. 経営形態をどのようにするか(公社、民営化)
    2. 分割するとすれば、その単位をどうするか
    3. 余剰人員の雇用問題をどう考えるか
    4. 膨大な長期債務をどう処理すればいいか
    5. 分社化、民営化した場合に経営が成り立つか

第3章 国鉄から新生JRに向けて

  • 国鉄執行部について、管理局長以上の職員は新会社にはうつらず、退職とした。

第4章 民営化後の歩み

  • 民間会社であれば当然に持つべき税務に関する知識と金利感覚として研修を行った。大半の必要資金は国にお願いして財投資金でカバーしてもらい、残りは鉄道債券を発行して、それも銀行のシンジケート団に引き受けてもらっていた。
  • 本社から官庁や他の企業に出向となると何か人生の肩書きを傷つけられ、出世の道が閉ざされたような感じが本人にも周囲にもあった。しかし、鉄道事業以外の分野にも力を入れる必要があると考え、意図的に出向を断行した。
  • JRS(国鉄標準規格)を設定し、特別発注を続けていた。発注先にOBを引き取ってもらっていた。
  • 常磐新線の建設に参加するように要請があった。しかし、これを民間企業であるから、経営を危うくするような選択はできないと断った。2年、3年かかって断ったが、民間企業になった以上、政治介入を許さないという画期的な出来事になった。
  • 民営化すれば安全性が損なわれると言われたが、これは全く逆であり、民間であるからこそ事故防止に必死で努力した。

第5章 日本の再生に必要な改革とは何か

  • アメリカのいくつかの州では、Special Districtという制度があり、病院を建設しようとする場合に、その病院を利用するであろう一定の地域を指定して、その地域の住民に固定資産税等を上乗せし、建設費を回収するというものである。自治、自主、自己責任を表す制度である。