フェルマーの最終定理/サイモン・シン

[一般教養のために読んだ本]フェルマーの最終定理サイモン・シン

フェルマーの最終定理の成り立ちからそれをアンドリュー・ワイルズが解くまでの道のりのドキュメンタリー。
よくも悪くも数式自体の理解がなくても読むことができ、ドラマとして楽しめる。
フェルマーの最終定理は、問題の理解は簡単でも解くためには20世紀の数論の粋を集める必要がある、
というのが人々を惹きつけるゆえんであり、それができるまで、解かれるまでにかかわった人々の人生が描かれる。

数学というジャンルの厳密性や数学者という人間たちの考え方は、
頭脳労働の極致を見るようで、自分がいかに曖昧な考えや憶測の中ですごしているかを思うことになる。

完全に証明されたものだけの上に、自分の考えを成り立たせようとするならば・・・
考えただけでも、仕事が進まなくなりそうでいやになるが、数学というものはそういうものなんだと、
端から眺めて感動したり、その恩恵を末端で享受したりできる程度の明晰さは持ちたいものだと考えさせられる。


【目次】
第1章 「ここで終わりにしたいと思います」
第2章 謎をかける人
第3章 数学の恥
第4章 抽象のなかへ
第5章 背理法
第6章 秘密の計算
第7章 小さな問題点
第8章 数学の大統一

【概要】
第1章

  • 若い人は定理の証明をすべきであり、老人は本を書くべきである
  • 数学者は決して忘れてはならない。他のいかなる芸術や科学の分野にもまして、数学が若い人のものであることを。
  • 川は常に曲がろうとする傾向を持っている。少しでもカーブがあれば、外側で流れが速くなり侵食が進み、カーブは急になり、ますます外側の流れが速くなる。一方でカーブが急になると、元の流れに対して折り返すことだからバイパスができやすくなる。バイパスができれば川はまっすぐになり、湾曲した部分は三日月湖となって川の脇に残される。これら二つの要因がバランスをとることで川の実際の長さと、水源から河口までの直線距離との比の平均値がπに近づく。
  • 科学理論を数学理論と同じレベルで完全に証明することはできない。「この理論が正しい可能性はきわめて高い」と言えるだけなのだ。いわゆる科学的証明は観察と知覚をよりどころにしているが、そのどちらもが誤りをまぬがれず、そこから得られるものは真実の近似でしかない。

第2章

  • パスカルは確率論を使えば、信仰も正当化できると考えた。「ギャンブラーが賭け事をするときに感じる興奮の大きさは、勝ったときの景品に勝つ確率をかけたものに等しい。」として、「永遠の幸福という景品は無限大の価値を持つ。また、高貴な人生を送ることによって天の国に入れる確率は、たとえどれほど小さいとしても有限の値を持つ」したがって、無限大の景品に有限の確率をかけたものはやはり無限大だから、無限大の興奮を得られるゲームだとした。
  • エウクレイデスは数学的真理の追究そのものに価値を認め、自分の仕事を応用することなど考えてはいなかった。あるとき一人の生徒が「いま教えていただいた数学はどんなことに使えるのですか」と質問したところ、エウクレイデスは授業後に、「あの少年に小銭を与えなさい。彼は学んだことから利を得たいようだからね」と従者に伝え、放校した。
  • 友愛数とはペアになった二つの数で、一方の数が他方の数の約数の和になるようなものである。ピュタゴラス教団は220と284が友愛数だというめざましい発見をした。

第3章

  • 年端のいかないワイルズが、20世紀の子供は17世紀の天才ピエール・ド・フェルマーと同じくらい数学を知っていると考えたのは正しかった。
  • 「数学には答えがある」というこの考え方は、数学の”完全性”と呼ばれている。自然数を扱った問題の中にも分数の力を借りなければ答えられないものがある。数学者はこのことを「完全性をもたせるには分数が必要だ」という。
  • 数学者ゴットフリーット・ライプニッツは、虚数の奇妙な性質を優美に表現した。「虚数とは、神なる聖霊の頼もしき拠り所にして、存在と非存在のあい半ばするものなり」
  • オイラーはその絶大な知力のおかげで、紙に書き付けなくてもアイディアを自在に操ることができたし、驚くべき記憶力のかげで、自分の頭脳を図書館代わりに使うことができた。仲間の数学者たちは失明がオイラーの想像力の地平を押し広げたのだろうといった。
  • 17年という長いライフサイクルを持つセミ。その理由は、一説によるとやはり長いライフサイクルを持つセミ寄生虫がいて、セミはその年数を避けようとしているのではないかといわれている。寄生虫セミの戦略に対抗するためには同時発生の頻度を高めるようなライフサイクルを持つしかない。つまり、1年サイクルか、セミと同じ17年サイクルである。しかし、1年サイクルでははじめの16年間は宿主になるセミはおらず生き残ることは難しい。17年サイクルを持つためには進化を要し、16年サイクルの時点では272年に1回しか同時発生しないことになってしまう。
  • 父親はソフィー・ジェルマンの数学への意欲を失わせようとロウソクと洋服を取り上げ、部屋に暖房も入れさせなかったという。ジェルマンは父親に対抗してロウソクを隠し持ち、毛布に包まって勉強を続けた。パリの冬の夜は寒く、インクつぼのインクが凍りついたが、それでも勉強をやめなかった。

第4章

  • ヒルベルトは、数学のすべては基本公理から証明できるし、証明できなければならないという信念を持っていた。そのためには、数学というシステムを支える柱のうちもっとも重要な二つが正しいことが示せればよい。まず第一に数学は、すべての問題に答えられなくてはならないということ。第二に数学に矛盾があってはならないということ。
  • ラッセルのパラドックスは、しばしば几帳面な図書館司書のたとえ話しとして説明される。自分自身を記載していない目すべての目録を記載した目録には、その目録自身を記載すべきだろうか。もし記載すれば「自分自身を記載していないすべての目録を記載する」という定義に反してしまう。しかし、もし記載しなければ同じ定義によって記載しなければならなくなる。
  • ラッセルの仕事は数学の根幹をゆるがし、数理論学を混乱のるつぼに放り込んだ。論理学者たちは、数学の深いところにひそむパラドックスがいずれその非論理が頭をもたげ、ただならぬ問題を引き起こすであろうことをはっきりと意識した。
  • ゲーデル不完全性定理によって、完全で無矛盾名数学体系を作るのは不可能だということを証明した。
    第一不完全性定理 高利的集合論が無矛盾ならば、証明することも反証することもできない定理が存在する
    第二不完全性定理 高利的集合論の無矛盾製を証明する構成的手続きは存在しない
  • ゲーデルは、真ではあるが決して証明できない命題、いわゆる決定不可能な命題が存在することを示すのに成功したのだった。
  • 数学者のE.Cティッチマーシュはこう述べた。「πが無理数だと知ったところで何の役にも立たないだろうが、知ることができるのに知らないでいるなんて耐えられないではないか」

第5章

  • 谷山は、たくさんの間違いを犯す、それもたいていは正しい方向に間違うという特別な才能に恵まれていた。私はそれがうらやましく、真似してみようとしたが無駄だった。そうしてわかったのは、良い間違いを犯すのは非常に難しいということだった。
  • 谷山と志村は、楕円方程式とモジュラー形式とは実質的に同じではないかと言い出して数学会に衝撃を与えた。(谷山=志村予想)
  • ゲルハルト=フライは、フェルマーの最終定理の真偽が、谷山=志村予想が証明できるかどうかにかかっているというドラマティックな結論を導いたのである。

第6章

  • 新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。

第7章

  • 「おそらく問題は、講義を聴くときの態度にあるのだと思います。すべてを理解することと、講義する人の邪魔をしないこと、その兼ね合いが難しいのです。もしもひっきりなしに質問していたら、講義するほうは何も説明できなくなり、聴くほうも結局は何もわからずじまいになるでしょう。一方質問しなければ内容は理解できませんから、何もチェックできないことになってしまう。
  • 論文に誤りが見つかったとき、その後のなりゆきには二通りあります。ひとつは、すぐに確信がみなぎって、証明が容易に復活する場合です。しかしその逆もある。犯した誤りが根本的なもので、修正する方法はないとわかったときにはとても動揺するし、がっくりと落ち込みますよ。修正しようとすればするほど泥沼にはまってしまい、せっかく導いた定理がばらばらに壊れてしまうことだってあるのです。
  • 言葉に仕様のない、美しい瞬間でした。とてもシンプルで、とてもエレガントで。どうして見落としていたのか自分でもわからなくて、信じられない思い出20分間もじっと見つめていました。

第8章

  • 八年に及んだ試練のなかで、ワイルズは20世紀の数論におけるほとんどすべての進歩を寄せ集め、絶大な力を持つ1つの証明に組み込んだ。ワイルズが生み出した数学のテクニックはまったく新しいものだったが、彼はそれらを従来のテクニックと結びつけた。それも、それまで不可能と思われていた方法によって。そしてその過程でほかの多くの問題を攻撃するための新たな道を切り開いたのだった。
  • 「みんなは私にこういうのです。君は問題を奪ったのだから、その代わりになるものをくれ、と。
  • 数学会は、トップクラスの大学に終身在職件を持つほどの教授がいんちきな主張をするはずがなく、欠陥を指摘されればすぐに主張を撤回するだろうと考えている。
  • いつでも、どこでも、誰でも、プログラムの詳細を入力してチェックすることができる。人間が一生かけてできる以上のことをコンピュータが数時間でやってのけるからといって、数学的証明の基本的概念が変わるわけではない。変わったのは数学の理論ではなく、数学の実践なのだ。